慶應義塾大学 通信教育課程(以下、「慶應通信」)の文学部第2類で学んでいます。本記事は「東洋史概説Ⅰ」で学んでいることを書きとめてまいります。現在までの私の学びに関する軌跡はこんな感じです↓
- 2021年9月末 : 慶應通信に合格したことを知る
- 2021年10月中旬 : 学習ガイドやテキストなど必要書類一式が届く
- 2021年11月初旬 : 卒業までのスケジュールや学習方法を理解して学習を開始する
- 2021年12月12日 : 一つもレポートを提出できない状態でこの記事を書いている
学士入学の私は卒業までに専門教育科目を68単位以上取得しなければなりません。おおむね1科目2単位です。そのため、最低でも34科目分のレポートと試験をクリアする必要があります。34科目中、記念すべき最初の1科目に私が選んだ科目が「東洋史概説Ⅰ」です。私が立てた学習計画は「1ヶ月=1レポート提出」を前提にしています。しかし実態は、学習開始が11月初旬・時すでに12月中旬、ということで学習計画はさっそく修正を余儀なくされています(笑) もっとも(自分が楽しく、納得するまで学ぶ)をモットーにしていますので焦りはありません。ただし、そんな強がりのかたわら、(1科目にしては少々ハードルの高い科目を選択してしまったかもしれない)とも思っています(笑)
現在「テキストを読む → 参考文献を読む → レポートの一部を書く → 他の参考文献を読む → レポートに追記する → さらに参考文献を読む → さらにレポートに追記する」の繰り返しです。レポートは50~60%程度書いたあたりです。レポート課題は転載を禁じられていますので公表することはできません。それでもチラリと述べますと古代東アジアの国際関係を問う設問です。私は慶應通信の入学論文で 『歴史とは何か』(E.H.カー著(清水幾太郎訳)/岩波新書、1962年) を選択しています。この本で私は歴史とは過去と未来の絶え間のない対話であると学びました。現代社会は国際関係を除いては語れません。その視点を古代に持ちこんで再考させてくれる機会を与えてくれた 東洋史概説Ⅰ の課題は本当にありがたいと感じます。
前置きが長くなりました。本記事では 東洋史概説Ⅰ の参考文献に挙げられている 『中国の歴史(山本英史著 河出書房新社、2010年) での学びを書きとめてまいります。
『中国の歴史』の著者と概略
まず著者の 山本英史さん についてネットで調べたことを書きとめ、次に『中国の歴史』の概要を書きとめます。慶應通信入学前、歴史関係の書籍を読んだ時に著者に注意を払うことはありませんでした。書籍のタイトルを見て面白そうな書籍を選び、乱読するのが私のやり方でした。しかし今は著者がどんな研究をされていて、どんな主張をされているのかを把握しておくことは、書籍をより理解する上でとても有効だと考えています。なお、この考え方は 『新版 論文の教室-レポートから卒論まで』(戸田山和久著 NHK出版、2012年) を読んで得たものです。
さて、著者の山本英史さんについて調べると驚きました、慶應義塾大学の教授だったんですね。この記事で思いっきりヨイショした方がよいのではないか、などと不純な考えが頭をよぎります(笑) 気をしっかりもって(?)、続けます。まずはご経歴から。山本英史さんは1950年生まれなので、現在71歳です。(ふむふむ、私の父母と同世代だな)と思うだけで勝手に親近感がわきます。1973年3月に慶應義塾大学 文学部をご卒業、その後1979年3月に東京大学 人文科学研究科大学院を単位取得退学されています。1979年4月から1987年まで山口大学で、1987年以降は慶應義塾大学に勤務され現在は慶應義塾大学 文学部 名誉教授をされています。『中国の歴史』の巻末にある著者略歴では明清史、中国近代史専攻と記載されています。KOARA(KeiO Associated Repository of Academic resources)で公開されている論文の はじめに 部分に目を通し、(地方志にお詳しい方のようだ)と理解しました。分かったような振りをしていますが、この 地方志 という単語も本記事作成の過程で始めて知りました。ネットで調べると中国独特の用語らしく、特定地域の政治経済・地理歴史などを総合的に記録した資料とのこと。
次に本書の概略です。本書の あとがき によれば、本書は 『中国的故事-一個日本人眼中的中国歴史』という書名で中国語版が出版されているそうです。私は中国語は全く分からないのですけれど、並んだ漢字から読み取った 「一人の日本人から見た中国の歴史」という点が本書の特徴をとてもよく表現していると感じます。一人の著者が中国古代から現代までを300頁超の分量で一気に解説してくれています。学校教科書のような複数の専門家たちの手で書かれた書籍は記述が関係者内の最大公約数的なものにとどまるためか、どうも無難で退屈な感じがします。しかし本書は著者が自由にのびのびと記述しており、前後の記述もつながりがあるのでとても読み易く、頭に入り易いです。中国の通史を学ぶ最初の一冊としては本書がベストチョイスです。
中国通史を1日にたとえてみる(概要編)
本書は冒頭の はじめに で非常に挑戦的とも思える問題提起がなされています。少し長いですが引用します。
ちなみに日本の面積は約三十八万平方キロメートル、中国の約二十六分の一に相当する。(中略)ならば中国は我々日本人が自国を基にしてイメージする国と同じものを”国”として認識しているだろうか。
(中略)
東西五千二百キロメートル、南北五千五百キロメートルに及ぶ地域をカバーする気候や風土もまた多様にならざるを得ない。(中略)ならば同じく多様な風土の下で育まれた人々は共通の生活環境を有し、一つの価値観を共有する均一な集団と見なすことができるのだろうか。
( 『中国の歴史』 山本英史著、2010年 2-3頁 )
いきなり私にはガツンとくる記述でした。(そうだ、自分の尺度で中国を理解しようとしてはいけないんだ)という側面に気づいたためです。理解できないものを理解できないものとして置いておくことも みやび(?) かもしれません。しかし私は曲がりなりにも歴史を学ぶ学生です。理解できないものをそうと認識しつつも、少しでも理解に努めなければいけません。ということで本記事はこの『中国の歴史』を参考にしつつ、中国史の持つ壮大なスケールを身近に感じるよう試みます。「中国史を1日にたとえる」です。さっそく見ていきましょう。なお、長大なスケールの中国通史と並走する1日の主人公は40代中年会社員の私です(笑)
『中国の歴史』は先史時代から記述が始まります。ただ今回は存在が確実な王朝である殷を起点にします。殷の起こりは紀元前1,600年ごろです。紀元前1,600年から現代2021年までの約3,600年を1日にたとえます。1年はだいたい24秒くらいです。『中国の歴史』巻末附録の中国関連歴史年表を参考にしますと、中国通史の1日にすると、各時代の開始時間はこんな感じです。
王朝など | はじまり | 時間 |
殷 | B.C. 1,600年 | 0:00 |
周 | B.C. 1,100年 | 3:18 |
春秋 | B.C. 770年 | 5:30 |
戦国 | B.C. 403年 | 7:56 |
秦 | B.C. 221年 | 9:08 |
前漢 | B.C. 206年 | 9:14 |
新 | A.D. 8年 | 10:39 |
後漢 | A.D. 25年 | 10:46 |
魏晋南北朝 | A.D. 220年 | 12:03 |
隋 | A.D. 589年 | 14:30 |
唐 | A.D. 618年 | 14:42 |
五代十国 | A.D. 907年 | 16:36 |
北宋 | A.D. 960年 | 16:58 |
南宋 | A.D. 1,127年 | 18:04 |
元 | A.D. 1,279年 | 19:04 |
明 | A.D. 1,368年 | 19:40 |
清 | A.D. 1,644年 | 21:30 |
中華民国 | A.D. 1,912年 | 23:16 |
中華人民共和国 | A.D. 1,949年 | 23:31 |
中国通史を1日にたとえてみる(詳細編)
1日の始まりとともに殷王朝が誕生します。酒池肉林で有名な紂王が民心を失い、周にとって代わられた時間が午前3時18分(紀元前1,100年)。家の外はまだまだ真っ暗な時間帯です。 笑わないお妃を笑わせようとして狼少年 を繰り返した周の幽王が殺され、春秋時代の幕が開けたのが午前5時半(紀元前770年)。東京では年度末にあたる3月下旬~4月初旬ごろの日の出の時刻です。有名な孔子が生まれたのが紀元前551年ごろ。7時前くらいです。この時間帯くらいになると多くの人が起きて活動を始めていらっしゃるのではないでしょうか? 平日の私の起床時間でもあります。 我が家の小学生たちは布団から出られず、うだうだしております(笑)
周が東征した5時半から9時過ぎまでの3時間半、ずっと春秋戦国時代と呼ばれる戦いの時間が続きます。私が起きる1時間半前から戦い始め、最近復活しつつある満員電車に揺られる通勤中もまだ戦が続き、会社に着いてもまだ戦っています。ようやく9時過ぎに秦が統一します。しかしたった7分で滅びます。出社時刻とほぼ同時に秦が建国、パソコンの電源を立ち上げて起動するまでの間にトイレに行ってコーヒーをいれて席に戻ったらもう秦は滅びていました。その後、漢が前後合わせて約3時間存続します。お昼休みまでずっと漢です。1日の内でもっとも仕事がはかどる午前の時間帯がずっと漢の時代なのですから、漢民族や漢字といった言葉が今もなお中国を代表している印象を持っている点にも説得力があります。12時過ぎに後漢が滅びます。ただし、太平道が華北で反乱を起こしたのが11時49分(184年)なので、昼休み前には動乱が始まっています。
お昼休みが終わっても戦乱は続きます。12時前後から始まった戦乱はだいたい2時間半続きます。魏晋南北朝時代です。ようやく14時半(589年)になって隋が中国大陸を統一します。しかしその隋も12分しか持ちません。上司の説教の方がはるかに長いです。明日から(2時間半も続いた戦乱を収めた強大な隋でさえも12分で滅びたのに…)と思いながらほぼ毎日これくらいの時間帯になるといただく上司の小言を拝聴します。唐の始まりが14時42分(618年)、その後16時36分まで続きます。午後の勤務時間の半分くらいが唐です。遣唐使・律令制度・条坊制(平安京など)といった日本人になじみの深い王朝です。そういえば小野妹子の遣隋使は600年なので14時34分にあたります。日本ではようやく有史時代が始まったような感覚の時代ですが、中国史を基準にすると1日の半分以上が経過しています。やっぱり中国はすごい、奥が深いと改めて感じます。
唐は16時36分(907年)に滅びます。ただ安史の乱が起きた15時36分(755年)から唐王朝は衰えています。唐滅亡後は五代十国時代という戦乱期を迎えますが、今度は20分くらいで終了します。16時58分(960年)、趙匡胤が宋の太祖として即位しました。(そろそろ今日の仕事も終わりだなぁ)と思っている時間帯です。もちろんこの後に残業がたんまり控えております。ここで少し『中国の歴史』から引用します。
中国は十世紀初めに五代十国が交替する分裂時代を迎えたが、それは長続きしなかった。(中略)魏晋南北朝を経て統一された隋唐帝国の枠組みが中国を再びまとまった形に向かわせた点も見逃せない。
( 『中国の歴史』 山本英史著、2010年 134頁 )
『中国の歴史』ではこの直前の頁で内藤湖南の唐宋変革論や前田直典の主張を紹介しつつ、唐末からの宋建国までの時代における大きな変化に触れています。私が現在学んでいる「東洋史概説Ⅰ」の学習範囲もおおよそこのあたりまでです。隋唐帝国は日本におよぼした影響が大きいこともあり、東洋史概説Ⅰでの学びを通じて今の私がもっとも興味を持っている時代です。繰り返しですが、1日にたとえると隋唐時代は14時半から16時半の午後もっとも集中して仕事をしている時間帯です。この時代の重要性がなんとなく分かります。
ここから今学んでいる「東洋史概説Ⅰ」の範囲外になりますので手短に述べます。宋の時代も北宋・南宋をあわせて約2時間続きます。私は全く勉強不足ですが、宋学の成立や農業と商業の発展など、宋の時代もかなり重要だと感じます。もっとも時間帯は16時58分(960年)からフビライによって滅ぼされる19時4分(1,279年)まで。会社の就業時間を過ぎて上司同僚が帰り始め、ようやくたまった受信メールの返信をしている時間帯です。新しいことをするよりも1日の仕事の振り返りや整理をしているような時間帯です。モンゴル帝国は世界史史上最大版図を築きますが、元としては意外に短く30分強ほど。19時40分(1,368年)には明が建国されます。明が自滅的に滅亡するのが21時半(1,644年)、私もようやく帰社する時間帯になりました。2時間弱続いた明にとってかわった清の時代も2時間もたず、23時16分(1,912年)に滅亡します。私がそろそろ寝る時間です。清に代わった中華民国は15分しかもたず、23時31分(1,949年)、ついに中華人民共和国が誕生します。中国のGNPが日本のGDPを上回り世界第二位になった2010年は23時55分頃です。アヘン戦争が始まった1,840年が22時48分ですから、中国は24時間の内、最後半の1時間程度を臥薪嘗胆の時間として過ごし、現在は再び超大国として世界に存在感を示していることを記して『中国の歴史』は終わります。『中国の歴史』は分かり易い記述が続く上、著者である山本英史さんの専門分野・ 明清史~ 中国近代史の記述が厚く、私はその時代の学びがまだまだ弱いので、学びの過程で何度も本書に戻ってこようと思います。
レポート作成の息抜きに情報を整理しながら本記事を作りました。後半はだいぶん柔らかい記事になってしまいました(笑) 何かの参考になれば幸いです。年内には「東洋史概説Ⅰ」のレポートを提出したいと思っています。
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