K-24.慶應通信、史学概論(その1:歴史学入門)

K.慶応義塾大学 通信教育課程

 慶應義塾大学 通信教育課程(以下、「慶應通信」)での学びを書きとめる当ブログ、今回の記事は参考文献の紹介です。今回ご紹介する参考文献はこちらです。

弓削達『歴史学入門』東京大学出版会、1986年

 この書籍は慶應通信 文学部 専門教育科目の一つ「史学概論」の参考文献です。私は慶應通信入学以来2ヶ月超、ずっと一貫して「東洋史概説Ⅰ」を勉強していました。しかしこの「東洋史概説Ⅰ」、レポート課題が今の私の実力では難解すぎると判断しまして、2022年に入ってから科目を「史学概論」へ変更して学びを続けています。この「史学概論」、講義要項で紹介されている参考文献は、以下の13冊です(黄色のラインは、22年1月27日現在までに私が読んだ書籍です)。

E. H. カー著/清水幾太郎訳『歴史とは何か』岩波新書、2003年
・遅塚忠躬『史学概論』東京大学出版会、2010年
・林健太郎『史学概論』有斐閣、1970年
・増田四郎『歴史学概論』講談社学術文庫、1994年
・マルク・ブロック著/松村剛訳『歴史のための弁明』岩波書店、2004年
・西村貞二『ブルクハルト』清水書院、2015年
・竹岡敬温『「アナール」学派と社会史─「新しい歴史」へ向かって』同文舘出版、1990年
・二宮宏之『マルク・ブロックを読む』岩波書店、2005年
・ヨハン・ホイジンガ著/里見元一郎訳『文化史の課題』東海大学出版会、1978年
・ユルゲン・コッカ著/仲内英三・土井美徳訳『社会史とは何か:その方法と軌跡』日本経済評論社、2000年
弓削達『歴史学入門』東京大学出版会、1986年  ← ‼今回の記事‼
・ゲオルク・G・イッガース著/中村幹雄他訳『ヨーロッパ歴史学の新潮流』晃洋書房、1986年
・ジョナサン・ハスラム著/角田史幸・川口良・中島理暁訳『誠実という悪徳 E. H. カー1892-1982』現代思潮新社、2007年

 本題に入ります前に「史学概論っていったい何を学ぶ科目なの?」という疑問に対して私なりにお答えします。まず慶應通信のシラバス(講義要項)から抜粋します。

「史学概論」は、総合の科学としての歴史学の特性・理論・方法・分類、史料の特質、歴史観の歴史、歴史の事実認識や解釈の問題、歴史学と他の学問領域との関係、歴史補助学の種類などを学び、歴史叙述の意味と役割について考えるための概説的な科目である。

慶應通信 史学概論 の講義要項より抜粋

 かなり文章が固いです。ざっくりと私は「歴史学ってどういう学問なんだ?」ということを考える科目であると理解しています。大学で歴史学を学ぶにあたり、一番初めに取り組むにはふさわしい科目だと言えます。私はちょっとだけ回り道して「東洋史概説Ⅰ」から学びを開始しました。でも結局レポート作成はこの「史学概論」が最初の一発目になりそうです。なお、本科目の習得目標に含まれる歴史学の理論への理解については、今の私ではその尻尾すら掴めていない感じがしています。レポートを一つも書いていないのですから当然と言えば当然です。

  それでは『歴史学入門』について書きとめて参ります。

『歴史学入門』の著者

 まずは著者の紹介です。苗字も名前も読むのが難しいです。弓削 達(ゆげ とおる)です。1924年3月生まれ、2006年10月に82歳で亡くなられています。(2006年?つい最近の話だな)と思ってしまいました。けれども、考えてみれば2006年はもう16年前です(この記事は2022年1月に書いています)。月日がたつ早さを実感します。調べてみると2006年は悠仁親王のご誕生、荒川静香さんの金メダル獲得に沸いた年でした。2006、と数字を並べるとそんなに昔に思えませんが、出来事で書くと(ああ、随分前のことだなぁ)と実感します。不思議なものです。

 また話を戻します。弓削達さんは歴史学者です。ご専攻は古代ローマ史。これからご紹介する『歴史学入門』でも古代ローマ史の話がふんだんに出てきます。助教授として神戸大学・東京教育大学(現・筑波大学)で、教授としては東京大学でご活躍され、フェリス女学院大学では学長を務められました。この『歴史学入門』は1986年の発行です。著者略歴には「現在 神奈川大学短期大学部教授」と書かれています。1984年に東京大学を定年退官された後、62歳の時に発行された書籍になります。

 他にWikipediaには「護憲論者・天皇制廃止論者としても知られ(以下略)」という一文があります。このあたりは評価が真っ二つに分かれるところであるように思えます。『歴史学入門』でも弓削達さんご自身が天皇家と関わった体験談が記載されています。

 その他の話題をもう一つ。書籍の最後、著者略歴・主要著作に続いて現住所の記載があります。1986年って作者の住所を書籍に記載していたのですね。プライバシーにうるさい2022年現在では考えられない当時の常識です。

 ではそろそろ『歴史学入門』の中身を書きとめて参りましょう。

『歴史学入門』の紹介

 この『歴史学入門』は読み始めてすぐにぶっ飛びました。なんと冒頭から福澤諭吉先生批判です。慶應義塾大学の創設者である福澤先生の歴史観を真っ向から否定する意見が載った書籍が慶應通信の参考文献に挙がっています。これは良いのかしら?、などと思ってしまいます。弓削達さんの福澤先生批判の矛先は主に下記のとおり。

  • 全ての国家が同じ発展過程をたどって成長する発展段階理論を前提と考えていること
  • アジア蔑視
  • 上記の2点がやがて皇国史観を生む土壌を形成したこと

 単位取得数はいまだゼロながら曲がりなりにも慶應通信生の私。(むむっ、なんか言われっぱなしは癪だぞ)と思いつつも反論材料もないのでそのままページをめくります。

 『歴史学入門』は「何のために、何を、どのように学ぶか」、「史料編」、「私の史料研究」の3章から成ります。本書を読む上で必ず理解しなければならない考え方は「存在としての歴史」、「ロゴスとしての歴史」という言葉です。この言葉自体は作者である弓削達さんの造語のはずです。意味は次の通りです。

  • 存在としての歴史 … 過去に起きたことそのもの
  • ロゴスとしての歴史… 歴史家がつくる歴史

 もう少し説明します。「存在としての歴史」は、今日雨が降った、芸能人の誰誰が婚約した、私が今朝何時に起きた、私が昨日も会社で上司に60分ちかくお説教を食らった、私が3日前に(何の役に立つの?)と自分でも思える無駄な社内資料作成のために23時まで会社で残業して寒い中お腹をすかせて家に帰った、など、そういった刻一刻と過去になるもの全ての出来事のことです。

 一方で「ロゴスとしての歴史」は『歴史学入門』の力をお借りしまして説明しますと、断片的に残る「存在としての歴史」を素材として知性・経験・感情・肉体といった人間の持つ力全てを結集して作り上げたものです。しかし「存在としての歴史」を使って思考・推論を重ねて作った物が全て「ロゴスとしての歴史」に該当するかと言えばそうではありません。この点を章を追って確認しましょう。

 最初の「何のために、何を、どのように学ぶか」の章では現代に生きる人間、そしてその人間が営む社会にとって有用であるように史料を読み、解釈し、叙述することが「ロゴスとしての歴史」を作る作業である、という弓削達さんの見解が強く打ち出されています。史学概論を学んでいますと、歴史学は現代人のもの、また、歴史学は歴史家が作るもの、といった考え方に多く触れます。この『歴史学入門』はここからさらに踏み込んで、現代社会にとっての有用性とは人類の生存・存続であるという作者の立ち位置を明確にしているところに特徴があります。『歴史学入門』は1986年の発行なので今から40年近く前に書かれた本です。けれども、進歩を否定し、一人の落伍者も出さないことに価値を見出しているなど、SDGsを先取りしたような考え方も本書内に散見されます。また人類の生存を作者が意識する背景には1980年代後半当時の核爆弾の脅威があります。2022年現在、核爆弾の脅威をいつも感じている日本人はきっと少数派でしょう。けれども、核爆弾の脅威を自然環境の脅威と置き換えますと作者の危機感は今の私たちにも共有可能であるように感じます。

 次の「史料編」では「存在としての歴史」をどうやって「ロゴスとしての歴史」につなげていくのか、という内容です。つまり、「存在としての歴史」の内、どういったものが「ロゴスとしての歴史」を作る上で素材(史料)に値するのか、またその素材(史料)の特徴はそれぞれどういうものかということの説明です。対象となる史料は気候変動などの自然条件の痕跡から始まり、人骨、道具や建造物、文字、口伝と多岐にわたります。また、例えば建造物でもたまたま現代まで痕跡が残ったポンペイの町と、そもそも制作者(発注者)が後世に残ることを意図して作られた戦勝記念碑などとでは「ロゴスとしての歴史」を作成する過程において、見方や解釈が全く異なってくるなど、史料に向ける視線・視点・視座の基本的な違いが丁寧に説明されています。このあたりは言われてみればごく基本的なことであります。しかし、基本的すぎてごくごく当たり前のように思いこんでしまっています。指摘されてみて、(なるほど、そうだよなぁ)と改めて自分の中のぼんやりとしたイメージが明確に言語化される面白さを感じます。

 最後の「私の史料研究」は私が『歴史学入門』でもっとも面白く読ませてもらった章です。この章では「ロゴスとしての歴史」を作る過程で必ず行われる史料研究について、初歩的な指針を示した上でその具体例が記載されています。本書記載の初歩的な指針を抜粋します。それは以下の4つの基本指針です。

  • 発言史料の発言内容を正しく理解する
  • 偽作史料であるかどうかを確かめる
  • 断片的な発言史料を関連づける
  • 新しい視点から発言史料を新しく解釈する

 以上の4つの基本方針について、弓削達さんの実体験を具体例として挙げながら本書内で詳しく説明してくださっています。この弓削達さんの実体験が記述の巧みさ、特に意外性のあるオチに向かうまでの話の持っていき方の上手さが手伝い、非常に読者を魅了する内容になっています。歴史学を学ぶ学生としては研究者が研究している姿の一端を垣間見る面白さも楽しめます。

『歴史学入門』での学び

 『歴史学入門』での学びは歴史を叙述するにあたって大切なことは、自分の立ち位置・価値観を自分で明確にしておくことの大切さです。自身のスタンスを明瞭に言語化しておくことにより、自分が生きる現代社会に向けた問題意識もはっきりと目に見えるようになります。そして、その問題意識が歴史を見る目になります。

 本書では日本の天皇を神様とする見解に異議をとなえる筆者が、日本の天皇とローマ皇帝の神格化儀式を比較しながら、自身の見解を補強する記述があります。また、先に触れたように世界史との関わりが薄く、特定の社会側からしか歴史を見ない視点を一国主義的と切り捨てる筆者が、福澤諭吉先生の歴史観を全否定する記述もあります。私自身は天皇制に反対では全くなく、また曲がりなりにも慶應通信生(単位取得はゼロ)として福澤先生を敬いたいと願う気持ちが強く、筆者の立場は心情的に受け入れがたいものがあります。しかし、そんな私でも作者の見解がはっきり示されながら進む論述に、説得力を認めました。

 また、私自身が気持ち的に天皇寄り・福澤先生寄りでありながら、作者の意見に反論できるほどの知識がないことを素直に悔しいとも感じています。『歴史学入門』の最後で弓削達さんは述べています。

正しい方法論に立った歴史学、われわれ自身を守る武装なのである。

『歴史学入門』p.290

 慶應通信に入学して3ヵ月が経ちました。まだ課題は一つも提出できず、メモを取りながらテキストと参考文献を読んでいるだけです。しかしこれから史学を学ぶにあたり、最初にその心構えを教えてくれる一冊に出会えたことは幸運だなぁ、と感謝しています。次のブログ記事は「課題提出」を話題にすることが目標です(笑)

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