慶應義塾大学 通信教育課程(以下、「慶應通信」)での学びを書きとめる当ブログ、今回の記事は小学生の研究発表会で経験が大事だと感じた、というお話です。
本記事の書きとめは、クロッグ(crog=中年・サラリーマン・オヤジ・学生) きろべあ(私) が学んだ、
- とある休日の過ごし方
- 小学生の研究発表会で学んだこと
- 歴史を学ぶ上での決意
の3本です。
とある休日の過ごし方
先日、我が子が参加している生きもの学習クラブの研究発表会がオンラインで開催されました。うちの子どもは小学校高学年(4~6年生)です。
コロナ禍、身近な川・公園・森で生きものを捕まえて観察する活動をするクラブは大人気でした。きっと遠出が難しい状況下で少しでも子どもに良い経験をさせたい、と思う親御さんが多かったのでしょう。そう申します理由は、私がそのように考えて子どもを入会させたからです(笑)
春の説明会の時には40人くらいの子どもたちが参加していたでしょうか。それから月日は流れ年度末、1年弱のクラブ活動を通して学んだこと、調べたことを発表しあう研究発表会に参加したのは12~13人の子どもでした。
もちろん研究発表会は当日の発表だけではなく、事前準備が必要です。我が子はかなりかなり簡単な課題を選びました。そのうえ、クラブを運営してくださっているご担当者が大層気さくに手伝ってくださり、サクサクと準備をすすめることができました。本当にありがたく、ご親切が心にしみました。
さて、研究発表会に参加しました中年オヤジ、まずはじめに驚いたことは、子どもたちのオンライン操作の慣れ具合でした。
- 人の話を聞くときはミュートにする
- 質問があるときは画面超しによく見えるように大きく手を挙げる
- 自分が発言するときはミュートを解除する
- 背景は家庭のプライバシーが分からないように家の壁やデジタル背景を設定する
いつもいつも簡単なオンライン会議への入室方法が分からずに中年無印サラリーマン(平社員)の私あてにイライラした声で電話をしてこられます職場の上司・同僚に見て欲しかったと強く強く感じました次第でございます(笑)
小学生の研究発表会で学んだこと
研究発表会では小学生一人一人が自分で興味をもった、さかな 、かに、とりなどについて、自身で調べたことを発表します。この発表、大きく2つのパターンに分類できました。
- パターンA … 自分が見た、聞いた、飼った生きものを観察して得た気づき
- パターンB … 自分が興味をもった生きものについて図鑑、ネットで調べた結果
私が面白いと感じましたのは圧倒的にパターンAです。パターンBも身近に生息しならが名前も知らなかった生きもののことを知りました。単純に知らないことを知った、トリビア的な知識を得た、という意味では面白くはありました。ただ発表を聞きながら、頭の中のどこかにいつも、(これっていつでもどこでも調べる気になれば調べられる情報である)という意識があり、心から楽しむことはできませんでした。
一方、パターンAはあの日あの時あの場所で(Web上でしたが)しか聞くことのできない発表者の生の声を実感できました。例えるならパターンBは部屋の中で聴く電気越しの音楽、パターンAはライブ会場で聴く音楽、くらいの差がありました。
またおそらく運営側の指導とは思いますが、AとBで発表の流れもおおよそ固定的でした。
- パターンA … 何を見たか? ~ 何を不思議に思ったか? ~ 仮説 ~ 正解(調べたこと)
- パターンB … 何に興味を持ったか? ~ 調べたこと ~ 詳しい人へのインタビュー
パターンAは自分で見た、聞いた、触った生きものについて、どういう気づきを子どもたちが持ったのか、という子ども個人個人の視点がまず面白い。加えて、仮説構築もかわいらしいものから、ハッとするものまであり、心底楽しめました。
しかし、先に悪く言ってしまいましたけれども、パターンBも最後のインタビュー部分は非常に面白かったです。このインタビューは「専門家」、「市井の人」の2パターンがありました。そして、いつも同じ川の同じ場所で釣りをしている人、その公園を毎日散歩している人、といった「市井の人」へのインタビューの方が私には格段に面白いと感じられました。
「専門家」の方は子供相手ですとどうしても(間違ったことを言ってはいけない)と身構えてしまうのでしょうか。なんだか回答も無難な、いつかどこかで聞いたことがある、もしくは将来聞くだろう、というものに聞こえました。
逆に「市井の人」からは釣れる魚の種類や数の変化、耳にする鳥の種類やさえずりの変化に関する個人の感想を子どもたちが上手に引き出していました。この部分は、(いつもあそこにいる暇な人)という私の偏見が破壊され、(実は豊かな内的世界を持つ人物)へと転換される契機になりました。子どもたちの発表を聞いていて、とても気持ちよく感じました。
歴史を学ぶ上での決意
子どもたちの発表を聞きながら、「個人の体験に宿る魅力」に気づいた時、私の中には自然と自分を省みる視線が生まれました。
歴史を学び、語る際に個人の体験を乗せることは可能なのか?
慶應通信ですでに史学概論を学んだ私(レポートを提出しただけで単位は未取得です)。ぼんやりと「歴史は歴史家が作るもの」というイメージは自分の中に育っています。
歴史家ではない一介の史学部の学生にすぎない私。
若者ではなく今更歴史家を目指しているわけではない私。
歴史を学んだ先の自分の人生を全く考えていない私。
自分の仕事に役立つとは決して思わず興味のままに慶應通信で史学を学ぶ私。
歴史と私、その関係がもやもやとしたものになって心に浮かんでは消え、浮かんでは消えます。
そんな中、一つ決意したことは、「今後レポートでも書評でもなんでも、自分の意見を書かずに提出・公表することは読み手の興味をひかないので絶対にしない」ということです。
思えば読み手が興味を持つ文章を書くのは歴史に限らず本業のビジネスシーンでも必須です。経験薄ながら慶應通信のレポート作成が苦しい時、気分が乗らず適当な報告書や資料を会社で作成している時(こちらは経験がとっても豊富(笑))、提出前に必ず一度(これは読み手にとって面白いのか?)と考える視点を持つ機会を作ることにします。
今回は子どもたちの発表にとても多くのことを学ばせてもらいました。あまりに嬉しく、感謝の気持ちを持ちました。
何かの参考になれば幸いです。最後まで読んでくださりありがとうございました。
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