慶應義塾大学 通信教育課程(以下、「慶應通信」)卒業を目指し、その学びを書きとめる当ブログ、今回の記事は参考文献のご紹介です。
今回ご紹介する参考文献はこちらです。慶應通信テキスト科目、「史学概論」の参考文献です。
西村貞二『ブルクハルト』清水書院、2015年
本記事の書きとめは、
- 『ブルクハルト』の紹介①:ブルクハルトって誰?
- 『ブルクハルト』の紹介②:ブルクハルト先生の著作
- 『ブルクハルト』での学び
の3本です。
「史学概論」の2021~2022年度講義要項で紹介されている参考文献は、以下の13冊です(黄色のラインは、22年4月3日現在までに私が読んだ書籍です)。
・E. H. カー著/清水幾太郎訳『歴史とは何か』岩波新書、2003年
・遅塚忠躬『史学概論』東京大学出版会、2010年
・林健太郎『史学概論』有斐閣、1970年
・増田四郎『歴史学概論』講談社学術文庫、1994年
・マルク・ブロック著/松村剛訳『歴史のための弁明』岩波書店、2004年
・西村貞二『ブルクハルト』清水書院、2015年 ← ‼今回の記事‼
・竹岡敬温『「アナール」学派と社会史─「新しい歴史」へ向かって』同文舘出版、1990年
・二宮宏之『マルク・ブロックを読む』岩波書店、2005年
・ヨハン・ホイジンガ著/里見元一郎訳『文化史の課題』東海大学出版会、1978年
・ユルゲン・コッカ著/仲内英三・土井美徳訳『社会史とは何か:その方法と軌跡』日本経済評論社、2000年
・弓削達『歴史学入門』東京大学出版会、1986年
・ゲオルク・G・イッガース著/中村幹雄他訳『ヨーロッパ歴史学の新潮流』晃洋書房、1986年
・ジョナサン・ハスラム著/角田史幸・川口良・中島理暁訳『誠実という悪徳 E. H. カー1892-1982』現代思潮新社、2007年
『ブルクハルト』の紹介①:ブルクハルトって誰?
ブルクハルト先生は主にスイスで活動された19世紀の歴史学者です。文化史という歴史学の1ジャンルを開拓されました。
このブルクハルト先生は哲学者のニーチェと親交のあった人、と言うと世間的には(お?)っという印象でしょうか。慶應通信生の私は(ニーチェ?名前はよく聞くけど、主張はしっかり勉強しないと)と、焦る気持ちがわいてきます(笑)
ニーチェはブルクハルト先生より26歳ほど年下です。ニーチェはブルクハルト先生を慕いつつ、ブルクハルト先生はニーチェと距離をとろうとされていたようです。そんな二人の関係が『ブルクハルト』には両者間で交わされた書簡を紹介しつつ描かれています。また、『ブルクハルト』にはニーチェ以外の学者とブルクハルト先生の交流も人々の残した言葉とともにいくつも紹介されています。
Wikipediaによりますと、ブルクハルト先生は1998年4月1日~2021年4月30日の13年間にわたって発行されていたスイスの1000フランの肖像に採用されていました。日本でいう福澤諭吉先生のような印象をスイスの方々はお持ちなのかもしれません。勝手な想像の下、慶應通信生として勝手にブルクハルト先生にも親近感がわきます。
さらっと書いていますがスイスフランは2022年4月現在、130円前後で推移しています。1000フランは13万円札に相当します。かなり高額な一枚です。福澤諭吉先生を肖像にする私たちの一万円札13枚分相当の金銭的価値を持つ1000フランの肖像画だった人、それがブルクハルト先生です。
さて、ブルクハルト先生は1818年に生まれ、1897年に79歳で亡くなられています。
21歳から25歳までをドイツ(ベルリン大学・ボン大学)で過ごし、20代後半にまたドイツで約一年、イタリアで半年強ほど生活、その後もちょこちょことイタリア、イギリス、ドイツ、オーストリア、オランダを旅行されていますが、おおむね故郷スイスのバーゼルで人生を送られています。
バーゼル?
スイス北部の都市の名前です。現在のバーゼルはこれまたWikipediaによりますと、以下の通り。
- 面積 … 23.9㎢ (東京都立川市が24.4㎢)
- 人口 … 175千人程度 (東京都立川市が184千人程度)
- 人口密度… 7,300人/㎢ (東京都立川市が7,200人/㎢)
ということでだいたい東京都立川市と同規模の都市です。
え?、東京都立川市ではイメージできない?大きさは東京ドーム510個分、人口は京都府宇治市、千葉県習志野市、茨城県日立市、島根県出雲市がだいたい175千人規模くらいの町です。
読者には退屈だろうから、このへんで切り上げる(後略)
『ブルクハルト』67頁
本書『ブルクハルト』にはブルクハルト先生の生涯に関する詳しい説明があります。また、バーゼル市に関する簡単な説明もあります。
『ブルクハルト』はブルクハルト先生の生涯とその主要著作の概要・意義に関する説明で構成されています。詳しく説明されている主な著作は以下の5点。( )内は著作物が世に出た時のブルクハルト先生のご年齢です。
- 『コンスタンティヌス大帝の時代』 (35歳)
- 『チチェローネ』 (37歳)
- 『イタリア・ルネサンスの文化』 (42歳)
- 『世界史的考察』 (遺著)
- 『ギリシア文化史』 (遺著)
ブルクハルト先生は49歳の時に発表された『イタリアの建築史』を最後に、以降は著書を公刊されませんでした。その後は学生や市民に対して歴史や美術に関する講義を中心とした生活を送られました。歴史の講座は68歳まで、美術史の講座は75歳まで務められました。遺著の『世界史的考察』、『ギリシア文化史』は講義原稿などを元にブルクハルト先生の甥が編集、刊行したものです。ブルクハルト先生ご自身は講義を本にして公表される意思はなかったと『ブルクハルト』に記載されています。
では次に5つの著作が『ブルクハルト』でどのように書かれているのか書きとめて参ります。
『ブルクハルト』の紹介②:ブルクハルト先生の著作
『コンスタンティヌス大帝の時代』
『ブルクハルト』ではブルクハルト先生の処女作として『コンスタンティヌス大帝の時代』にブルクハルト先生の思想の萌芽を見てとります。主な点は二つ。
- 著作の読み手を学者ではなく、思索する人と想定している
- 歴史を発展的過程と認識せず、静的に眺める
歴史を静的に眺める、が難しいですね。慶應通信生(ただし取得単位はゼロ)である私なりの解釈で補足します。
『コンスタンティヌス大帝の時代』を刊行した1850年代の歴史学は政治史一辺倒でした。また、その政治史は人類は発展を続け、過去は現代の発展にいたる前段階と認識されていました。そんな世界観に支配される学会に対し、一般教養層を対象に、過去はそれ自体が完成した物である、という視点を持ち込んだのがブルクハルト先生です。
ありの~、ままの~、過去を見せるのよ~♪
と言う感じでしょうか?
別の言い方で表現すれば、動物園に行ってチンパンジーやゴリラを見た際に、「人間になり損なった生きもの」と解釈するのが19世紀半ばのヨーロッパ歴史学、「チンパンジーやゴリラはそれ自身が完成された生きもの」と解釈するのがブルクハルト先生の視点、と言えるかもしれません。
なお、『コンスタンティヌス大帝の時代』自体は現在ほとんど読まれていません。
『チチェローネ』
副題が「イタリアの美術品の鑑賞のための手引き」です。と言っても美術館などに置いてある案内本やパンフレットのようなお手軽なものではなく、全集2巻の大著です。ここでもブルクハルト先生は個々のイタリア美術の発展過程を追う事はされません。一つ一つの作品について説明されます。
『ブルクハルト』ではレオナルド=ダ=ヴィンチ、ラファエロに対する賞賛、ミケランジェロへの好悪入り混じったブルクハルト先生の評価が紹介されています。また、『チチェローネ』の内容紹介からは外れますが、『ブルクハルト』ではブルクハルト先生のルーベンス礼賛、レンブラント批判も紹介されています。
『イタリア・ルネサンスの文化』
『ブルクハルト』の中で、もっとも力が入っていると感じられる記述が続くのがこの『イタリア・ルネサンスの文化』の説明箇所です。
ルネサンス史研究はブルクハルトを基礎として出発したのである。
『ブルクハルト』117頁
ルネサンスが生まれた時代、なぜイタリアでルネサンスが起こったのか、ルネサンスの特徴、それらの説明を得て、ようやく『イタリア・ルネサンスの文化』の紹介が始まります。
『イタリア・ルネサンスの文化』の概要は『ブルクハルト』をお読みいただくことにします。ここでは『ブルクハルト』で考察されている『イタリア・ルネサンスの文化』の執筆動機を紹介します。それは以下の2点です。
1点目は、ブルクハルト先生が生きた時代の人々に対する抗議です。
ブルクハルト先生はただ芸術を眺めていたわけではありません。芸術を通して人間に対する洞察をしていらっしゃいました。ブルクハルト先生は、ルネサンスにギリシア・ラテン世界の豊かな教養を持つ個人の生を見ます。そしてその自由で、美しく、調和のとれたルネサンス人の生を理想とします。一方、ブルクハルト先生の生きた時代には先生が理想とした生が失われていました。ナショナリズムや営利欲が吹き荒れる19世紀半ばの人間社会に対する抗議が『イタリア・ルネサンスの文化』の執筆動機にあると『ブルクハルト』では考察されています。
2点目は、ブルクハルト先生が生きた時代の教養がルネサンスに根差していたことの主張です。
ルネサンスからはじまるヨーロッパ精神。その考察が次の『世界史的考察』につながります。
『世界史的考察』
『ブルクハルト』内で紹介されている著作の内、この『世界史的考察』と次の『ギリシア文化史』はブルクハルト先生ご自身の手になるものではありません。ブルクハルト先生の死後に講演原稿などから再構成されたものです。
『ブルクハルト』では『世界史的考察』の中で、権力は悪であるとするブルクハルト先生の主張を取り上げて紹介します。そしてこの権力=悪の認識は、19世紀にブルクハルト先生が感じておられた危機意識から生じたものであると考察されています。
当時、政治的にはドイツ帝国が建国、フランスの復讐に備えて軍備拡張が続けられました。社会的にはイギリスで完了した産業革命の影響が周辺諸国へ拡大し続けていました。
実は危機意識は『ブルクハルト』で着目されている大きな要素の一つです。歴史上、危機は安定している時期ではなく過渡期に色濃く表れます。危機意識が変化を生み、変化の時代を過渡期と呼ぶのですから、過渡期に危機意識が強いのは当然と言えます。
『コンスタンティヌス大帝の時代』は古代ローマがキリスト教を国教とする過渡期です。ルネサンスは中世から近代にいたる過渡期です。ブルクハルト先生が自身の生きた時代に感じておられた危機意識、それがそのまま歴史を見る眼に反映されています。そんな危機の時代にどう生きればよいのでしょうか?
悲惨のうちになお幸運があるはずだとすれば、それは精神的幸運でしかありえないであろう。すなわち、後ろを向いては古い時代の文化を救おうとし、前を向いてはかまわずにおけば元に戻ってしまいそうな時代にいて、明朗に、たゆまず精神を擁護すること
『ブルクハルト』153頁
芸術に永遠を、ルネサンスに生の理想とヨーロッパ精神の起源を見るブルクハルト先生。危機に際しても平静にその精神に望みを託します。
『ギリシア文化史』
『ブルクハルト』の中で最後に紹介される本が遺著である『ギリシア文化史』です。ここでブルクハルト先生はギリシア人が何を願い、どのように考え、どう行動したのかを考察し、あるがままのギリシア人との交流を目指します。
当然のごとく、ブルクハルト先生の生きた時代の価値観でギリシア人を断罪することはありません。また、ギリシア文化を神聖視する立場も退けます。自身の研究が主観的である欠点を自覚しつつ、ブルクハルト先生は考察を進めます。
『ブルクハルト』は『ギリシア文化史』記載のギリシア人のペシミズム・老い・死に関する価値観を紹介した後、ブルクハルト先生の臨終の様子を経てドラマチックに終わります。
『ブルクハルト』での学び
史学概論。この科目を私は「歴史学ってどういう学問なんだ?」を考える科目であると理解しています。歴史学を日本史、東洋史、西洋史を学ぶもの、と理解していた私。今は歴史学の歴史を学ぶ楽しさを感じています。
そんな史学概論を学ぶ過程で繰り返し繰り返し登場し、いつもいつも考えさせられる記述が、「全ての歴史は現代史である」という視点です。
歴史は現代と切り離れされて孤立して存在しているのではありません。今を生きている私たちの問題意識が歴史を見る目に投影されながら歴史は解釈され、歴史的事実として叙述されます。
『ブルクハルト』では激動の19世紀ヨーロッパに危機意識をもったブルクハルト先生が、芸術に対して永遠に変わらない価値を見出し、それを普遍的なヨーロッパ精神にまで広げていく思想が描かれています。史学概論で学んだ歴史理論の実践例を本著で学ぶことができました。
『ブルクハルト』を読んでいますと著者の西村貞二さんがたびたび「ブルクハルト先生!」と呼びかけるシーンが出てきます。芸術を起点に発展史の枠組みを脱したブルクハルト先生。その学問的な貢献の大きさはもちろん、市井の人々の教養を信じて亡くなる直前まで生まれ故郷で講義を続けられた高潔な生き方が重なり、読み手の私も感情がゆさぶられるたびにいつの間にか心の中で「ブルクハルト先生!」と叫んでいました。すでに私の中では ブルクハルト と固有名詞で呼ぶことができず、敬意をもってブルクハルト先生としか表現できなくなっています。
卒業までに取得が必要な単位 … 残り84(入学以来半年、いまだ1単位も取得できていません(泣))。
何かの参考になれば幸いです。最後まで読んでくださりありがとうございました。
弓削達『歴史学入門』東京大学出版会、1986年 の記事はこちら
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