慶應義塾大学 通信教育課程(以下、「慶應通信」)卒業を目指し、その学びを書きとめる当ブログ。
今回は、子どもの大学受験をきっかけに30年抱えた「高校時代の後悔」から解放された私、の書きとめです。
子育てが教えてくれた、人生の不思議な転機の書きとめでもあります。
本記事は、
- 我が子が大学受験に挑む!
- 私の大学受験の思い出
- 憑き物が落ちた!
の3本を書きとめて参ります。
私は慶應通信 文学部 第2類(史学)で学ぶ40代中年オヤジ。平日はサラリーマン、休日は大学生。人の倍の人生を楽しんでいます。
さて、高校時代に「もっと頑張れたのでは?」という後悔、あなたも抱えていませんか?
実は私は約30年間、ずっと囚われていました。
本書きとめはその囚われが大きくなり、開放される物語です。
本ブログの書きとめが5ヶ月も停滞していた理由でもあります(笑)
我が子が大学受験に挑む!
悠仁様と同い年の我が子。2025年、大学受験に挑みました。
結果は(本人に聞いたわけではないですが)、第4~5志望くらいの大学に進学しました。今春桜咲く中で大学生になり、(きっと、多分、)自由な大学生活を謳歌しています。
子どもはさほど進学校ではない高校に在籍していました。2年生の初めに部活動を止めて予備校に通い始めました。
子どもの教育に私は口を出さないことに決めています。そんな我が子はあれよあれよと学力を伸ばし、模試の毎に志望校のレベルを一つずつ上げていくような状態でした。
共通テストはそれまでの模試を上回る自己ベストの点数を叩きだしました。惜しくも届きませんでしたが、世間的に言ってかなりの難関大学へ肉薄しました。
結果的に子どもはギリギリ自分で納得できるくらいの大学に進学しました。しかし、その大学の入学難易度は私の母校をはるかに上回ります。
おまけに子どもは現役合格、私は浪人経験者。子どもは理系、私は文系です。
自分が18歳だったころの学力を大きく上回る実力で合格を勝ち取った子どもが誇らしく、入学式用のスーツを買いに行った時は、道中~店内~帰り道、目に入る人々全員に子どもを自慢したくてたまらないほど、子どもが輝いて見えました。
私の大学受験の思い出
子どもは所属高校内で上位の進学実績で卒業しました。けれども、高校生活そのものはそれほど楽しそうに過ごしているようには、親の私には見えませんでした。
そして、親の私はもっとはるかにつまらない高校生活を送りました。
そう、私の高校生活は惨めで辛いものでした。
中学時代、私は部活では全く活躍できませんでした。そもそも練習に全く打ち込んでおりません。
勉強も頑張った記憶はありません。
塾と学校でなんとなく話を聞いているだけで、全科目平均より出来る方ではありました。30年以上前、地方の片田舎の公立中学の話です。
中学で大して勉強もせず、高校は地元ではお母さま方に「あら、優秀ね」と言ってもらえることもある(けれども誰もが手放しでそう言ってくれるほどではない)程度の学校に進学しました。
高校入学当初、(何かに全力で打ち込みたい)という思いだけを人一倍強く持っていました。対象に選んだのが、ハードで有名な運動部でした。中学時代に全く経験していないスポーツです。私以外の同級生は1人を除いて他の全員が経験者でした。
そのスポーツは団体競技です。私は仲間たちと、全力でそのスポーツに打ち込みたかった。
練習は人一倍やりました。筋トレは大嫌いだったので全くしませんでした。しかし、部活が終わった後も地味な走り込みを続けて高い持久力を身につけました。
ただ、同級生とは上手くいきませんでした。
プロスポーツ、ファッション、芸能に全く興味がなかった私は同級生と全く話がかみ合いません。いつも和の中で気まずい空気を作る原因になっていました。
おまけに高校入学後、一切勉強をしていなかったので学力は最底辺でした。次第に部活のみならず、クラスでも浮く存在になりました。
また、部活の顧問と担任が同じ人物でした。振り返れば目をかけてもらっていたと思います。でも当時は褒められる時も、怒られる時も、他の生徒の2~3倍の強度で接触されたことが非常にこたえました。
1年生の終わり、逃げるように部活を止めました。退学届は出さず、ズルズルと部活を欠席して除籍になりました。
2年生に進学してしばらくしてから、徐々に学校をサボる日も増えました。1ヶ月くらい、自宅の部屋に籠ったこともあります。
3年間で高校を卒業できました。既定の出席日数に届いていたのだろう、とは思います。けれども当時、出席日数を気にしたことはありません。何もかもどうでもよく感じていました。
もう一人、私より休みの多い同級生がいました。彼も3年間で卒業できたと記憶しています。出席日数が足りなくても当時は卒業できたのかもしれません。
けれども、何もしていないわけではありません。
我が子同様、2年生から個別指導塾に通い、2年生の終わりから予備校に通い始めました。
ただ、勉強は1年生の時に一切やらなかったので全く分からないままでした。
2年生も成績は酷いままでした。
3年生も成績は全く向上しません。
結局どこの大学にも合格せず、浪人しました。
今春、子どもの大学入学に大喜びしました。と同時に、(あの時の私は本当に親に心配をかけたなぁ)、と思います。
結局1年間浪人し、私立に絞って3教科だけなんとなく勉強をしました。
するとなんとなく学力が伸びて、ギリギリ届きそうな大学に無事合格、そのまま進学しました。
憑き物が落ちた!
大学入学後、学歴を気にすることはありませんでした。
ただ、時おり(もっと頑張れたのではないか?)と思うことはありました。
会社入社以降、同期・先輩・後輩の学歴が全員私より上、という事実には驚愕しました。でもだからと言って出世レースに(大きくは!)遅れることもなく、自身の学歴を気にしたことはありません。
それでも(もっと高校時代に頑張れたのでは?)という考えだけは付きまとっていました。
その反動なのか、会社に入ってからの仕事量は(要領の悪さには目を瞑るとして)、社内トップクラスです。30代半ばまで、誰よりも早く会社に来て、誰よりも遅く退社していました。飲み会は好まず、周囲が遊んでいる間も与えられた仕事をこなし続けました。
しかし、会社に入って10年以上仕事に集中し続けても、ふとした拍子に(もっと高校時代に頑張れたのでは?)と思うことがありました。
この何となくモヤモヤとした気持ちが晴れる瞬間がついに私にやってきます。それが今年の6~7月くらいの話です。
きっかけは全く意外、子どもの大学受験でした。
すでに述べた通り、子どもの大学受験結果は、私の結果を圧倒する内容でした。高校入学以降、全く数学も理科系科目も勉強していない私。子どもが入った理系学部の履修要綱を見ても、何が書いてあるのか、さっぱり分かりません。
別に子どもと張り合うつもりはありません。けれど子どもの受験後、4~5月くらいに(なんで私はもっと高校時代に頑張らなかったのだろう?)という気持ちが徐々に膨らみ、はち切れそうになりました。
若いときに全力で頑張らなかったことへの後悔。それこそ慶應通信のレポートに手がつかない週末が何度もありました(チケット・トゥ・ライド・アメリカ、というゲームをネットで100戦くらいしました)。
レポートが本当に手につかないとき、私は諦めて歴史学とは関係のない本を読んで過ごしています(漫画を読んでいることもあります)。その日、『寝ながら学べる構造主義』(内田樹著、文藝春秋、2004年)を読み返していました。
その前書きを読んだ時、いきなり雷に打たれました。長いですが引用します。
なぜ、私たちはあることを「知らない」のでしょう?なぜ今日までそれを「知らずに」きたのでしょう。単に面倒くさかっただけなのでしょうか?
それは違います。私たちがあることを知らない理由はたいていの場合一つしかありません。「知りたくない」からです。
(これだ!)
一瞬で私は自分が高校時代に何をしていたのかを思い出しました。
私は「一生懸命に勉強から逃げていた」のです。
当時の私は勉強を頑張らなかった、、、のではなかったのです。全力で勉強から逃げる選択をしていたのです。
高校生の私は自暴自棄でした。
入学後1年間を捧げた部活は完全に挫折して逃げ出しました。
1年間勉強をしなかった、いや、中学時代も何となくの理解で凌いでいた学力はボロボロでした。学校や塾、予備校で配布されたテキストや問題集はさっぱり理解できませんでした。
勉強していい大学に行って、同級生を見返してやりたい、と思う気持ちはありました。
しかし、それは私を勉強に向ける力には全くなりませんでした。
将来何かになりたい、という希望もありませんでした。
自分の将来が明るいという希望をそもそも持っていませんでした。
私に期待を寄せ、応援してくれていた両親には申し訳ない話です。私は落ちるところまで落ちてみたい、というおかしな欲望の虜になりました。そして一生懸命に勉強から逃げました。
学校の定期テスト、数学で0点を連発しました。得も言われぬ快感が私を襲いました。今から考えると本当に訳が分からない心理です。
なんとなく高校を卒業して浪人が決まり、この気持ちはリセットされました。
浪人時代は中学時代同様、漫然と勉強をしていたら成績が伸びました。そのまま大学にギリギリ滑り込みました。これが私の大学受験の実態でした。
私は高校卒業以来、全力で頑張らなかった自分を30年くらい責め続けていました。
しかし、実際には10代後半の私も一生懸命に生きていました。
世間一般的に見て、大した挫折ではないとは思います。
でも当時の私は深く傷つき、現実と正面から向き合うことを恐れ、逃げる選択をしました。それは弱さでもあります。けれども今の私には(当時も一生懸命に生きていたんだな)と微笑ましく、若かった自分を見ることができます。
(なぜ高校時代にもっと頑張らなかったのか?)
この憑き物に大きく囚われ、開放されたのが私がブログ更新を怠っていた5ヶ月間の出来事です。
次の書きとめは慶應通信に戻します。
なお、我が家にはまだ中高生の子どもがいます。
当然私とは違った人生を歩んでいます。
高校時代の私を許せた今の私。
今まで以上に子どもたちを応援する気持ちが高まっています。とは言え、あーだこーだと言われても子どもには迷惑でしょうから、今まで通りそっと見守るに留めます(笑)
子育てで成長するのは子どもだけではありません。
子どもを育てるつもりが、いつも育てられているのは私の方です。
大学生になった我が子へ。
ありがとう。パパは家族に恵まれています。


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