K-22.慶應通信、私がレポートを1本も書けない理由

K.慶応義塾大学 通信教育課程

 新年あけましておめでとうございます。当ブログは2021年3月、慶應義塾大学 通信教育課程(以下、「慶應通信」)での学びを書きとめるために開設しました。ブログ開設当時は慶應通信にまだ合格しておらず、2021年春入学は不合格。ブログの方向性はもちろん自分の生き方にも迷いつつ(笑)、半年の期間を経て2021年秋に無事合格。しかし、2021年11月に学習を開始して早2ヶ月、私はいまだに1本もレポートを書けておりません。今回は慶應通信入学以来、私がレポートを一本も書けない理由について書きとめてまいります。

 なお、本記事作成にあたり、以下2冊のレポート作成指南本を参考にしています。河野本は紙媒体、戸田山本はkindle版で読んでいます。

  • 河野哲也 『レポート・論文の書き方入門 第4版』 慶應義塾大学出版会、2018年。
  • 戸田山和久 『新版 論文の教室-レポートから卒論まで』 NHK出版、2012年。 

レポート作成ができない理由その①:問題提起ができない

 河野本では論文・レポートを下記の通り定義付けています。

論文は基本的に、問題提起から始まり、議論を経て、解答に至る「序論-本論-結論」という形式で構成されていなければならないのです。

河野、33頁

 この問題提起が非常に難しいです。 私が作成に取り組んでいる「東洋史概説Ⅰ」のレポート課題はある程度論点が絞りこまれてはいます。けれども、そのまま取り扱うにはまだまだ問題として大きいため、私の手には全く負えません。レポート課題を丸ごと取り扱おうとすると、調べることが多すぎて時間がいくらあっても足りないのです。何から調べればよいのか分からないくらい問題が大きい、とも言えます。私の場合、大学のレポート作成自体がほぼ始めてです。まずはYes/Noで答えがでる程度に問題を設定し直し、その後自分なりにYesかNoを選択してその論拠を示す、くらいの簡単なレポート構成にしなければ今の私にはレポートが欠けません。

 さて、この問題提起は漫然とテキストや参考文献を読んでからレポートを書いているだけではできないことにようやく気がつきました。私の場合、当ブログも趣味のamazonレビューもパソコンに向かって文章を書きながら自分の考えを整理していきます。文章作成を通じて、(そうか、こんなことを自分は考えていたのか)という発見をしながら、思いつくままにパソコンに向かってタイピングを繰り返し、最後に文章全体の流れを整えておしまい、というやり方です。

 同じやり方でレポートを作成してみると、全く歯が立たないことが分かりました。レポート作成をしながら(そうか、自分はこの点が疑問なのか)と思いついた問題提起をパソコンに向かってタイピングし、さらにそこから(ここも不思議だな)、(あれ、この用語は何となく理解した気になっていたけど厳密にはなんだったっけ?)と思考の流れに任せて話を発展・深耕させる形でレポート作成を進めていくと、設定した問題提起から外れて話が思わぬ方向に行ってしまい、収集がつかないのです。次から次へと調べることが出てきて、そのうち提起した問題が筋の悪いもののように思え、問題を再設定する。再設定した問題を起点に最初から書き直し、また思考のおもむくままに書き連ねていくとまたまた考えが予期せぬ方向に向かい、再び問題を再設定し直す。再設定した問題を最初から書いていくとまた話の流れがズレて…、ということの繰り返しでキリがありません。

 大学に提出するレポートはパソコンに向かってタイピングしながら自然に形が整っていくような甘い代物では全くない、こんな簡単なことに気がつくまで私は2ヶ月もかかりました。なお、私の場合、学士入学で専門教育科目から学習を開始しているため、各科目の基礎知識の習得に時間がかかるという面もあります。これは仕方がありません。今学んでいる東洋史概説Ⅰにしても、20年ほど前に高校で学んだ世界史の知識と、その後に社会人になってつまみ食い的に読んだ新書、入門書がベースになっており、いずれの知識もぼんやりしています。王莽、と聞いても(なんか前漢と後漢の間に自分の王朝を立て、古代の理想的な統治体制を再現しようとして失敗した人だな)くらいのものです。王莽がどういう経緯で歴史の表舞台に出て、具体的にどんな政策を行い、その政策のどこが失敗だったのか全く分からない、という具合です。

 

レポート作成ができない理由その②:参考文献は紙媒体で買うもの

 私の場合、慶應通信が挙げている参考文献はなるべくkindleで購入しています。また、kindle版がない書籍は近くの図書館で入手しています。住んでいる家が狭いのでなるべく家に置く書籍の量を少なくしたい、という動機からこの行動をとっているのですけれども、学問を進める上でこの姿勢は間違っているのではないかと思い始めています。

 私の場合、kindle版はどうしても検索に時間がかかります。紙媒体の場合、(だいたいあの本のあの辺りの場所にあの記載があった気がする)という記憶があります。これが 指が覚えているという感じでしょうか。しかしkindle版にはその感じを持てません。また、(だいたいこのあたり)と予想してkindleのページをめくりながら該当箇所を探そうにも、わずか1~2秒のことですが毎ページ毎ページ表示に時間がかかり、ストレスです。だいいち該当の書籍を引っ張りだすのも一々kindle内の検索結果を待つのでイライラします。私が持っているkindleが古く、検索ワードの入力と検索結果の表示に時間がかかる、という問題も手伝っています。

 また、図書館で借りた本をベースにする場合、先のレポート作成しながら問題設定をする、というやり方を採っていますと、調べたい内容を書いた本が返却済、慌ててもう一度借りにいこうとすると、誰かに貸し出し中、もしくは自宅から離れた別の図書館に移動済で調べられない、という問題が現実に起こりました。(あれ?なんかあの本に説明があった気がするなぁ)と思ってすぐにそれを確認できないことがこんなに不便でしかもストレスがかかるとは想像していませんでした。

  もちろんむやみやたらと本を買って手元に置いておけばよい、とは思いません。ただkindleにせよ図書館にせよ、今の自分に役立ちそうな本か否かをチェックすることに使い、本当に必要な本は紙媒体で購入して手元に置き、いつでも好きな時に参照できるようにしておく必要があると感じています。

レポート作成ができない理由その③:読んだ本の内容が頭に入っていない

 本を2~3回読んだくらいではまだまだ私の頭に入っていません。ExcelやWordにまとめながら読むことも試しましたが、いちいちパソコンを立ち上げないと残したメモを再確認できません。そしてそんな作業ができるくらいのまとまった時間は週に何度も取れません。ようやく学習を始めて2ヶ月経った今、本を読みながら記載内容の要点を自分なりにまとめ直してノートにメモし、折に触れてノートを読み返しながら記憶に定着させる、といった、受験時代の勉強方法に立ち戻りました。

 11月に読書を中心とした学習を始めて約2ヶ月。読んだ本の数だけなら12冊です。慶應通信入学前は1ヶ月に1~2冊しか読んでいませんでしたから、これでも大きな進歩をしたとは思います。けれども、読んだ本の内容をしっかり身に付けないと大学での学びにおいては全く意味がありません。今は再びテキストに立ち返ってメモを取りながら読み進めています。

 2ヶ月間、全くレポート作成ができないので(自分には卒業が無理ではないか?)と弱気になる日々が続きました。しかしこうしてレポートが書けない理由を整理していくと対応できるような気になりますから不思議です。幸いレポート作成において伴走してくれる2冊の書物(河野本と戸田山本)もあります。引き続き自分のペースで学びを続けて参ります。とは言え、いつまでもダラダラとは引き延ばせないので、2022年は12本、月に1本のペースでレポート提出することを目標にしています。

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