K-30.慶應通信、史学概論(その5:レポート再提出とともに中年の危機が終わる)

K.慶応義塾大学 通信教育課程

 慶應義塾大学 通信教育課程(以下、「慶應通信」)卒業を目指し、その学びを書きとめる当ブログ、今回の記事はレポート再提出の過程で憑き物が落ちた、というお話です。

本記事の書きとめは、

  • レポート再提出の状況
  • 私にやってきた中年の危機
  • 中年の危機が終わったことを自覚した

の3本です。

レポート再提出の状況

 2022年2月12日(土)、はじめて慶應通信のレポートを提出しました。科目は「史学概論」です。

 しかし約1ヶ月後の3月23日(水)、不合格判定とともにレポートが返却されました。

 さらに1ヶ月後の4月24日(土)、ようやくレポートを再提出することができました。

 2022年4月現在、私のレポート作成状況は以下の通りです。

  • 史学概論   … レポートを再提出した直後
  • 東洋史概説Ⅰ … 指定された文量の半分程度作成済も、行き詰まり中断中
  • 日本史概説Ⅰ … アウトライン(目次のようなもの)のみ作成済

 私が慶應通信生になったのが2021年10月です。当時は(年末までにはレポートを1~2本提出できるだろう)と軽く考えていました。しかし結果は指定されたテキストや参考文献の読了で手がいっぱい、レポート未着手のまま新年(2022年)を迎えます。

 2022年正月、今年の目標に「月に1本、レポートを作成する。年内に合計12本のレポートを作成する。」と自分のメモ帳に書きとめました。

 なんとか目標に約2週間遅れて最初のレポートを提出します。しかし結果は不合格。再提出に向けて試行錯誤が続きます。

  • 読んだテキスト、参考文献の内容を目次や本文をパラパラ見るだけでは思い出せない
  • メモしたノートを読み返すと1冊の書籍を流れとして理解できていないことに気づく
  • メモに追記、書籍にメモ付きの付箋を貼りながら再度テキスト、参考文献を読み返す
  • 読み返す際、「この本で自分は何を勉強したいのか?」という読書目的を考えて表紙裏にメモ、読んだ後に「何を学んだか?」を追記する
  • レポート作成の過程でテキスト、参考文献のどこに重要な記述があったのか思い出せず、引用と註をつけるのに時間を浪費、ますますあせる
  • 今後は(引用や註に使う可能性のある文章は付箋の種類を決めて貼っておこう)と誓う

 こんな感じで悪戦苦闘、(半年以上経つのに一本もレポートが書けないよ、通らないよ)という泣きそうな気持ちと、(いやいや、今までも自分はうまく生きてきたんだから、今度もできるはず)という気持ちで揺れ動く日々が続きます。

 それでもなんとかやる気を振り絞ってレポート再提出にこぎつけることができました。

 正直に言いますと、まだまだ(卒業できる?できない?)と言う悩みが頭の中でグルグルしています。でもその一方で6~7年付き合ってきたある悩みが自分の中で決着したことに気づきました。

 その悩みが 中年の危機 です。

私にやってきた中年の危機

 これまた正直に言いますと、私がこの6~7年くらい悩んできたものが Midlife crisis (中年の危機) に該当するのか否か、正確には分かりません。ただどこで得た知識なのか全く思い出せないのですが、私の日記の中にこんな書きとめが残っています。

 中年の危機は人生の発達段階の転換点。自分の強みを使って切り拓いてきた前半の人生の対極に、自分が生きてこなかったもう一つの人生の可能性がある。その影のようなもう一つの人生の可能性に気づき、動揺するのが中年の危機の正体です。

出典不明

 このメモは2017年5月末の日記に書きとめています。

 それまですでに1~2年、(このモヤモヤとした気持ちはなんだろう?)とずっと引っ掛かっていました。そんな時にこのメモの言葉に出会い、私は(自分の悩みの正体はこれだ!)と確信しました。以来、(私は中年の危機にドップリとはまっている)と自覚していました。

 私は人生の選択を積極的にしてこない人間でした。

 日本人の一般的な10代の選択肢は受験だと思います。この時、私は「高校にはいくものだ。普通科進学が普通だ。」、「大学にはいくものだ。得意な科目で受験するものだ。」くらいの認識で人生のコマを進めました。

 日本人大学生の一般的な20代の選択肢は卒業時だと思います。ここでも私は「大学を出たら卒業するものだ。企業の面接を受けるのが普通だ。」くらいの認識で人生のコマを進めます。

 さらに選択しない私の人生は続きます。

 日本では会社員はほぼ自分で何かを選択することはないだろうと思います。無事に就職活動を終え、「会社に入ったらがんばって仕事をするものだ。与えられた仕事に全力投球するのが普通だ。」くらいの認識で私は働きます。

 そして、私生活でも「結婚するものだ。子育てするのが普通だ。」の認識をそのまま現実にします。

 ところが急に私の人生は暗転します。きっかけは会社での激務でした。当時は年間3000時間以上は残業していました。20代のころから年間1500時間以上は常時残業していましたので(ちょっと忙しくなったなぁ)くらいの感じを最初は持っていました。

 しかし、時おり呼吸困難・心臓の鼓動が1~2秒止まるといった症状が出てくるようになりました。それでも数ヶ月様子見と称して放置していました。けれども、症状が現れる頻度が上がったため、内科を受診しました。(何か大きな病気でないといいけれど)と心配しながら検査結果を待っていましたら、結果は「身体に一切異常なし」でした。医師からは「心の病気だと思うので心療内科を受診してください」と言われます。この時に受けた衝撃は今でも忘れられません。

 結局私は心療内科へは行きませんでした。(自分は大丈夫。きっと気のせいだ。)とまだ自分を誤魔化す考えをもっていました。しかしこの内科受診をきっかけに(自分は周囲からパワハラを受けているのではないか?)と考えるようになりました。この認識を持ったことで会社で働くことに対する意欲が急速になくなり、残業時間が激減します。そして残業時間がなくなると体の不調は治りました。

 しかし心のモヤモヤは晴れません。その時に先に挙げた引用文に出会います。

 自分が生きてこなかったもう一つの人生の可能性、それは自分の人生を自分で選択することで今現在手にできていたかもしれない豊かな人生ではないか、そう考えるようになりました。

中年の危機が終わったことを自覚した

 「私は私の人生を選択していない。それはつまり人生の主導権を握ってこなかったということ。

 この考えにとらわれ、悶々とした日々が続きます。

 私は自分の人生を深く考えてこなかった。でもこれは強いこだわりがなく何事も柔軟に対処できるという面で私の長所だと思っていました。その強みがそれまでの人生を切り開いてきました(というよりは勝手に開いていた扉に向かって歩いていただけ、という印象です)。

 しかしその長所でこれからも人生を歩んでいくのか?

 その問いに対する私の答えはNoでした。

 人生に深いこだわりはない。だから私は積極的に選択をしない。でもそれはいかにも流されすぎではないのか?そう私は考えました。

 以降、(やってみたい)という気持ちを大事にして私は行動を続けます。実際に行動したものは以下の通り。

  • 家庭菜園
  • キャンプ
  • ボランティア
  • カヤック

 そして約1年前から歴史の勉強に取り組みます(1度受験に失敗しているので学問した期間は半年ほどです)。

真面目とはね、君、真剣勝負の意味だよ。

(中略)

真面目と云うのはね、僕に云わせると、つまり実行の二字に帰着するのだ。

『虞美人草』夏目漱石著

 

 私の好きな小説、夏目漱石の『虞美人草』に登場する宗近君の言葉が私を支えてくれます。

 実行しているうちにあれだけ毎日頭の中で一定程度の面積を占め続けていた 中年の危機 という単語を思い出す機会が徐々に減っていきます。それでも何となく日々の生活に身が入らないと感じる日々は続きます。(何かが壊れてしまっているけど何か分からない)という感じをいつも抱えていました。

 そしてこの半年間、暇があれば慶應通信のテキストと参考文献に目を通していました(でも仕事に疲れて帰りの電車から家に帰って夕飯をすませて寝るまで、ずっと無駄にスマホでネットサーフィンをして翌朝自己嫌悪に陥ることも多々ありました)

 中国史通史、史学概論、日本史古代~中世、西洋史中世、また戻って史学概論。

 読んだ書籍の内容は覚えては忘れ、忘れてはメモを見て思い返し、また忘れる。そんな日々でなんとなく中世の生きる人々の無常観、選択の余地なく自然や権力者の意向で人生を唐突に終える人々の生き方が強く心に残ります。その印象に包まれる中、史学概論の参考文献を読み、「どのようにして歴史を認識するか?」という問題へ真摯に取り組む人々を詳しく知るようになります。

 ある日、朝の通勤電車で史学概論の参考文献『ブルクハルト』を読んでいるとき、急に閃きました。

 (私は人生を「人格を成長させる場である」と決め込んでいた

 そうです。私は意味もなく人生に受け身であり続けたわけではなかったのです

 人生は人格を磨く修行の場である。

 この思い込みが強すぎたため、どんな状況になってもそれを受け入れ、懸命に立ち向かい、切り拓くことこそが人生であると心から信じていたことに気づきました。

 ゆえにどんな道を選んでも困難が待っているもの、ならば無駄にあがこうとせず、ゆったり構えて自然と自分が乗り越えるべき困難がやってくるのを待とう、と考えるがゆえの前半生だったのです。

 (私の私の人生に何のこだわりも持っていない)

 この強い思い込みが厚いベールになり、ずっとそれまで自分が大切にしていた信念、それは人生は人格を成長させる場であるということ、に気がつかなかったのでした。

 この気づきを得た私はようやく今までの自分の生き方を肯定できるようになりました。そして同時にこれからは自分のやりたいことを積極的に選ぼう、そしてそのことで生じる困難はすべて乗り越えていこう、という未来にも目が向きました。それは私を数年もの長い間悩ませ続けた、中年の危機の終わりを告げる気づきでした。

 40年以上生きてきて、最後の閃きを与えてくれたきっかけが、子どものころから好きだった歴史を学ぶ過程にあった、このことをなぜかとても嬉しく感じました。そしてその勢いそのままに、史学概論のレポートを本日4月24日、無事に再提出することができました。

  

 何かの参考になれば幸いです。最後まで読んでくださりありがとうございました。

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