K-23.慶應通信、東洋史概説Ⅰ(その2:唐代の国際関係)

K.慶応義塾大学 通信教育課程

 慶應義塾大学 通信教育課程(以下、「慶應通信」)での学びを書きとめる当ブログ、今回の記事は参考文献の紹介について書きとめてまいります。今回ご紹介する参考文献はこちらです。

石見清裕『唐代の国際関係』山川出版社、2009年

 慶應通信ではたくさんの書籍・文献を読み、自分で学びを深めなければなりません。一方、「何から学べばよいのか分からない」という学生のため、慶應通信では講義毎に参考文献を紹介してくれています。現在私が学ぶ「東洋史概説Ⅰ」の講義要綱で紹介されている参考文献は、以下の10冊です(黄色のラインは、22年1月8日現在までに私が読んだ書籍です)。

  • 藤堂明保・竹田晃・影山輝國『倭国伝-中国正史に描かれた日本』講談社学術文庫、2010年
  • 小澤正人・谷豊信・西江清高『中国の考古学』同成社、1999年
  • 中国出土資料学会編『地下からの贈り物─新出土資料が語るいにしえの中国』東方選書、2014年
  • 鶴間和幸『秦漢帝国へのアプローチ(世界史リブレット)』山川出版社、1996年
  • 鶴間和幸『ファーストエンペラーの遺産(秦漢帝国)』講談社学術文庫、2020年
  • 冨谷至『木簡・竹簡の語る中国古代 増補新版──書記の文化史』岩波書店、2014年
  • 石見清裕『唐代の国際関係』山川出版社、2009年 ← ‼今回の記事‼
  • 鈴木靖民『日本の古代国家形成と東アジア』吉川弘文館、2011年
  • 山本英史『中国の歴史』河出書房新社、2010年
  • 村松弘一『中国古代環境史の研究』汲古書院、2016年

 10冊中、4冊を読んでいますけれども、まだレポートを書けておりません(泣) なお、 上記10冊の内、『中国の歴史』は一度記事にしていますのでよろしければそちらも読んでみてください。

https://kirobear.com/494/

 では前置きはこれくらいにして、本題を書きとめて参りましょう!


『唐代の国際関係』の著者

 まずは著者の紹介です。決してのぞき見趣味から人物紹介をしているのではありません。著作をより理解するためには、著者の専攻や主張を知っておくことが非常に大事だと思っているからです。また、学者さんのお名前は様々な書籍・論文にその主張とともに登場しますので今後の学習にも便利です。とか何とかもっともらしいことを言っていますけれども、私の知識習得水準ではまだまだのぞき見要素が強いです(笑)

 さて、著者の石見清裕さんは22年1月現在、早稲田大学 教育学部の教授をされています。(むむ!慶應義塾のライバル校ではないか)などと余計な考えが一瞬頭をよぎります。別に私は難関な入試を突破した若者ではなく、お気楽中年通信学生(単位未取得)なので気にせず先に進みます。

 石見清裕さんのご専攻は、唐代国際関係史(石見研究室Webサイトより抜粋)。これからご紹介する書籍が『唐代の国際関係』。つまり、『唐代の国際関係』はバリバリの専門家の方による著作です。『唐代の国際関係』は世界史リブレットという120冊以上あるシリーズの中の1冊です。この世界史リブレットは高校の歴史教科書で有名な山川出版社の発行物です。「東洋史概説Ⅰ」の参考文献10冊の内、『秦漢帝国へのアプローチ』も世界史リブレットです。『唐代の国際関係』は90頁前後の薄い本である上、とても平易な文章で書かれていますので、さらっと読むだけなら2時間もあれば十分です。 おそらくこの世界史リブレット(128冊?)は、専門家の方が歴史に興味がある一般人向けに易しく書いてくださった、史学の裾野を広げるためのシリーズなのだろうと思います。シリーズの他の著作を読むのも楽しみです。

 その他、石見清裕さんはなんと猫好き( 石見研究室Webサイトより抜粋) 。私は犬派です。早稲田大学研究者データベースのWebサイトでは石見清裕さんが書かれた論文の一覧が記載されています。「唐代の愛猫家」のような論文もあるのか、と思って眺めましたけれども、さすがにそれはありませんでした。何か一本くらい論文を読みたいと思いながらネット世界をさ迷いましたが見つかりませんでしたので『唐代の国際関係』の中身に移ります。

『唐代の国際関係』の紹介

 『唐代の国際関係』は、「唐王朝の成立」、「内陸アジアの遊牧民と隊商民」、「長安と外交儀礼」、「東アジア国際関係の変化」の4章から成ります。ページ数は全部で87頁ですから1章あたり20頁強の分量です。サクサク読めます。もっとも固有の人名・地名・事件名をある程度まで頭に入れておかないと、サラサラとは読めません。『唐代の国際関係』は固有名詞について丁寧な説明文が地図などと共に記載されています。これはとてもありがたいです。私の場合、3回読み直した今なら1時間くらいでサクッと読み通せます。けれども、初見時は知らない固有名詞だらけで、本文⇔補足説明の往復を繰り返しながら読みました。読了までに5時間くらいかかりました。もちろんその5時間も学びが多く、楽しい時間でした。六鎮と平城・洛陽の位置関係から読み取れる反乱を起こした当時の六鎮が感じていただろう焦り、隋末唐初の群雄割拠図から見た李淵の困難な状況、玄奘の足跡を通してみる中央アジアの地理。本書を通し、唐代の鮮やかなビジョンが数多く私の頭の中に投影されました。

 さて、本記事では4つの章の中で特に面白く感じました「長安と外交儀礼」を取り上げます。この章では長安の構造と人々の暮らし、外国使節が唐の領土にはいってから皇帝に謁見するまでの道のり、皇帝謁見儀礼の流れ、唐から日本にあてた国書の内容、が説明されています。歴史教科書では「●●天皇は遣唐使を派遣した」くらいで軽く流しています。けれども、少しイメージを膨らませると当時の道のりは大変だったことは容易に理解できます。本書では帰還が叶わなかった遣唐使たちの様子も描かれています。また、円仁が残した『入唐求法巡礼行記』より、遣唐大使らが838年10月5日に揚州を出発し、同年12月3日に長安に到着した様子の記載もあります。この時の遣唐使たちは58日かけて移動しています。グーグルマップで 揚州港~西安駅 をルート検索しました結果、1,136㎞、徒歩236時間と出ました。1日平均約20㎞・4時間かけて当時の遣唐使は移動したことになります。ちなみに揚州~長安間の距離1,136kmは、東京から札幌、あるいは東京から福岡へ車で移動するときの距離とだいたい同じです。広大な中国大陸ですが、遣唐使が中国大陸を移動した距離は、私がイメージしていたよりは近い距離の移動であった気はします。なお、遣唐使たちは徒歩ではなく船を中心に移動しています。隋の煬帝が587年に建設した山陽瀆(淮河~長江)、605年に建設した通済渠(黄河~淮河)を通って移動したのでしょう。うつりゆく景色を私たちのご先祖様はどのような気持ちで眺めていらっしゃったのか。想像するだけで胸が熱くなります(笑)

 話を『唐代の国際関係』に戻します。面白いのが皇帝謁見儀式の復元です。ざっくりまとめると以下の感じです。下記は『唐代の国際関係』を参考にしています(言葉を変えているだけでほぼ引用です)。

  • 1.前日に皇帝・外国使節・オーケストラの席を設定する。
  • 2.当日、進行役・近衛兵が位置につく。続いてオーケストラ入場。
  • 3.外国使節が宮殿の門に到着。
  • 4.音楽が流れて皇帝が登場。
  • 5.皇帝登場時とは音楽を変えて外国使節が入場。
  • 6.唐の役人外国使節から国書を受け取り、皇帝に読み上げる。
  • 7.国書を読み上げる間に(外国使節が?)贈り物を受け取る。
  • 8.皇帝が通訳を介して質問し、外国使節が回答する。
  • 9.外国使節→皇帝の順に退場する。 

 すでに引用しまくっていますが、ここでさらに私には『唐代の国際関係』でもっとも印象深かった一節を引用します。

(略)唐の皇帝がさきに入場して外国使節を待ち受けるのがたてまえであることがわかる。皇帝といえども、ただいばっていればよいというものではない。

『唐代の国際関係』56頁

『唐代の国際関係』での学び

 「東洋史概説Ⅰ」参考文献の一つである 『倭国伝』を読んでいますと、「皇帝は無礼な態度に立腹したが、儀礼にのっとって対応した」という旨の記述がよく出てきます。 「唐代の国際関係」を通じて得た学びの一つが儀礼の重要性です。私は、(儀礼・しきたりなんてしょせん建て前の世界でしょ。人間にとって大事なことは本音の部分だよね)と思っていました。ところが一度儀礼として人々の間に浸透すると、絶大な権力を持つ皇帝でさえもそれに従わなければなりません。人が定めたものに多くの人が従わざるを得なくなる。礼法を整えていく段階では人が儀礼を支配しているにもかかわらず、いったん儀礼に対する人々の合意形成ができてしまえば皆が支配されてしまう。ではこの儀礼はどういった考え方・価値観に基づいて作られたものなのか。そして、その価値観はその時代を大きく支配しているものではないか。だったら儀礼制定のプロセスは時代を理解する上で大きな分量を占めているのではないか。こんな風に考えると、今まで興味がなかった儀式・礼節・マナー・エチケットに対しても(これっていったいどんな価値観がベースになっているのだろう?)と言う視点で見るようになり、とても世界が広がったように感じます。

 ここまで儀礼を中心に見て参りましたけれども、『唐代の国際関係』の中心的な記載は中国の関心が常に北方、次いで西方を向いてきた、というものです。中国から見て東方に位置する日本に住む私たち。現代社会において失礼ながら中国北方・西方の経済力が高くないことも手伝って、私は何となく中国大陸に生きる人々が過去からずっと東方を注視していた印象をもっていました。しかし事実は全く異なります。唐代に生きる人々の息づかいが伝わってくるかのような『唐代の国際関係』。気軽に読める本なのでぜひ手に取ってみてください。

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