K-17.慶應通信入試、合格の考察②

K.慶応義塾大学 通信教育課程

 慶應義塾大学 通信教育課程(以下、「慶應通信」)卒業を目指し、その学びを書きとめる当ブログ、今回の記事は合格した出願書類の考察です。

 以前は合格論文を全文掲載していました。しかし、「公正な評価の妨げになる」などの理由から、大学側が選考書類のインターネット公表を禁止していることを知りましたので、現在は公表を控えています。本記事は不合格論文の全文を掲載していた過去記事の改訂版です。

 慶應通信に合格するためには以下の3つの論文をクリアする必要があります。本記事では「1)志望した学部で何を学ぼうとしているか?」を書きとめて参ります。

【慶應義塾大学 通信教育課程 入学出願時に作成する3つの論文】

2つの改善点

 私は慶應通信に合格する半年前、2021年4月入学の選抜では不合格となっています。不合格だった2021年4月から、合格した同年10月まで、半年の間に改善した点は以下の2つです。

  • 改善点① 歴史を学ぶ動機を徹底して考える
  • 改善点② 過去の学習体験、将来の展望の2点をしっかり記載する

 順番に書きとめてまいります。

改善点① 歴史を学ぶ動機を徹底して考える

 不合格時の考察より、自分の動機としっかり向き合って論文作成に臨まなかった反省が私の中にありました。そしてその点はしっかり改善しました。

 ところでこの論文課題は「過去の学習体験」、「将来の展望」の2点に触れるよう指示されています。自分の考えや動機に向き合う過程で、過去に感じたこと、考えていたことは比較的考えやすいです。一方、「将来の展望」は苦戦しました。21年4月の不合格時も21年10月の合格時も、一連の出願書類の中でもっとも苦戦した箇所はこの「将来の展望」でした。

 私はメーカー勤務の会社員です。そのため、もし仮に法学部や経済学部志望であれば、「学問で得た知見を今後のビジネスに活かし云々~」と述べることができただろうと思います。しかし私が志望している学部(類)は史学です。本業と直接的なつながりは全くありません。

 また、史学を学んで学者になりたい、教師になりたいなどとも全く思っていません。ただただ自分の興味を追求したいと考えているだけで、仮に慶応義塾 通信教育課程を卒業できたとしても、その後の展開は頭にありません。

 そこで、(歴史を学ぶことでどんな役に立つことがあるのだろう?)と考えてみることにしました。そして答えは課題2)自分の学びたい学問領域に関わる書籍を一冊選び、概要を簡単にまとめた上で、自分の視点から詳しく論評しなさい、を書くために選択した書籍の中にありました。

 その書籍は『歴史とは何か』(E.H.カー著(清水幾太郎訳)/岩波新書)です。

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 この『歴史とは何か』には「歴史とは、過去と現在の対話である」という趣旨の記述が数多く出てきます。この言葉の意味を私なりにかみ砕いて表現します。

  • 『歴史とは何か』 … 歴史とは、過去の現在の対話である
  • 私の理解     … 歴史とは、私たちが身をおく環境と私たち自身の理解を深めることを目指し、現在から過去を観察して解釈し、また過去の解釈を通じて現在と未来を考察することを繰り返す終わりのない過程である

 現代に対する問題意識が歴史を見る目に投影され、歴史を見る目を鍛えることで現代の問題点を深く考えたり、違った角度で見ることができるようになる。そして考えが変われば行動も変わる。そんな歴史の効用の一側面を知った時、とても腹落ちするものがありました。

改善点② 過去の学習体験、将来の展望の2点をしっかり記載する

 自分の内面に向き合うことができれば、あとは与えられた問いにきちんと答えるだけです。

 不合格だった論文を作成した際、私は自分の内面に向き合わずに、「本を読んで驚いた。なんで今までちゃんと勉強しなかったのと悔やみます。これからはもっともっと驚きの体験をたくさんしたいです。」というような思いつくままに記述しました。結果、「過去の学習体験」には余計は尾ひれがつき、将来の展望は「もっと私を驚かせてください」といった、(学ぶ気があるのかこの受験者は)と思われて仕方のない文章ができました。

 一方、合格だった論文を作成した際、前述の通り内省を重ねました。あとは確実に過去の学習体験、将来の展望の両方を明記するだけでした。

 また、しっかり振り返りが出来ていたので、過去の学習体験と将来の展望が一つの物語として関係性のある内容にまとめることもできました。先の「歴史とは、過去と現在の対話である」の応用です。過去の学習体験を振りかえって将来の展望を考え、将来の展望を考える中で過去の学習体験をもう一度振り返ってみる。その繰り返しの中で、だんだんと過去の学習体験と将来の展望が結びつき、最終的には一本の線にできた、という感覚です。

通信教育課程で学ぶ直前の私の気持ち

 以下は元々21年10月に書いた、合格論文を全文掲載していた記事(22年4月に削除済)に載せていた文章です。

 会社員を続けて約20年、その内最初の15年くらいは会社の指示に従って一生懸命に仕事をしてきました。深夜残業、休日出勤も厭わず、がむしゃらでした。それがそのまま幸せな人生につながるということに何の疑問も持っていませんでした。

 ところが最近の5年間は会社員生活が全く楽しくなく、(どうしてがんばってきたのに、今もがんばっているのに、こうも生き辛いのだろう?)と感じる日々です。周りを見れば、真面目に、懸命に物事に取り組んでいるのに同様に苦しんでいる人がたくさんいます。

 良い人、真面目な人も数多くいる中でどうして大多数の人は幸せを感じられないのだろう?この息苦しさの正体は何なのだろう?、その中で自分はどういう生き方を選択すればよいのだろう?、これが今の私に差し迫った問題意識です。この問題意識がどのように私のこれからの歴史学習に反映されるのかは全く分かりません。しかし、そんなことより歴史学習を通じて再度現代社会を見た時、自分が全く新しい感じ方、見方をしているのではないかと考えますと、これからの学習が本当に楽しみです。

 この気持ちは最初に書きとめた21年10月から約半年が経過した22年4月現在も全く変わりません。

 卒業までに取得が必要な単位 … 残り84(入学以来半年、いまだ1つもレポート課題をクリアできず(泣))

 何かの参考になれば幸いです。最後まで読んでくださりありがとうございました。

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